2005年4月号 結成45周年記念例会特集号

   

  
  2005年4月10日(日)、午後4時30分より津センターパレスホールにおいて結成45周年記念例会及び懇親会を行いました。
 334─ B地区ガバナーはじめキャビネット役員、スポンサークラブ、姉妹提携クラブ、ゾーン内7クラブなど90名のお客様を迎えることができました。



昨夜からの会場設営、朝からリハーサル、打ち合わせ、午後3時30分受付準備完了と同時にお客様が到着。

名古屋ホストLCの皆さん。

上富良野LCの皆さん。

台北から。


午後4時30分、白子ウインド・シンフォニカの生演奏が会場に響き、
中華民国国歌、君が代、ライオンズクラブの歌を斉唱。


記念例会司会はL中村幹事
リハーサルの甲斐あって、
落ちついた格調のある進行ぶり。

開会ゴングはL阿部第一副会長。

L村山会長の挨拶

 津LCの来し方を振り返り、先輩を讃え、新しい時代の「ウイ・サーブ」とは何か?
与えられた10分の持ち時間を大きく超えての挨拶に、「ま、内容はエエとして、長かったなあ」の声。

L野呂昭彦三重県知事の挨拶

会長挨拶の長いのにつられたのか、元気な三重県づくりを熱っぽく語られた。

L近藤康雄津市長の挨拶

 「ライオン近藤です」と穏やかな話しぶり。いつものL近藤節がもどり、仲間のメンバーも心なごむ。

L松岡忠男ガバナーの挨拶

 家族の絆、人間性の回復。いまこそライオンズクラブの出番と説く。

名古屋ホストLC・L成田会長の挨拶
          〜スポンサークラブ〜
 スポンサークラブへの感謝状贈呈のあと、L成田会長から45年前、津クラブ発足当時の名古屋クラブの会報が披露された。発足のいきさつは、津クラブ生みの親、L後藤顕義の文章で、もう一つは結成式の模様と初代役員を紹介したもの。
記念アクティビティーの発表 
      ─1─


「津城下町再現模型」
 津は古来、安濃津の港があった町。が、1498年、明応の大地震による津波で壊滅し、現在の津の街の原型は1608年、藤堂高虎が32万4千石の藩主として移封されて拓かれた城下町。ふるさとの人々にその目で歴史ある津を実感していただくために、新しく開港された「津なぎさまち」に城下町再現模型を制作し設置。津市に贈呈した。発表はL岸江広和。


←津城下町再現模型のジオラマ
↑詳細部。津城と堀、岩田川。
記念アクティビティーの発表 
─2─

 「スペシャルオリンピックス冬季世界大会」
応援・見学ツアー催行

 アジアで初めて開催された知的発達障害者のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野」に知的障害者とその家族30組と共に応援・見学バスツアーを開催。ボランティアの協力をあおぎ、夜行バス、温泉での一泊を82名の参加を得て行った。
発表はL繁田義久第二副会長。

三重県からシュノーシューイングに出場する山根政人選手の応援を2日間、雪に遊び、開会式をサテライトスタジオで、Mウェーブではスケート競技などを見学。そのテーマ「集い、そして楽しもう」をそのまま実践した。



ご同行いただいたSO500万人トーチラン三重統括委員会代表・野呂幸世さんからツアーの模様を報告していただいた。

ライオンズロアー
L大形集吉RCの発声で、L飯田陽一ZC、台北、上富良野、桑名LC会長によって高らかにロアー。


閉会ゴングはL山路第三副会長

支えてくれたのはこの人たちでした
 想定外の挨拶の長さ、食事もほとんど食べずに照明、音響の裏方を務めてくれた人たちです。普段は社長室や支社長室で恐い顔(?)をしているはずですが、スタッフとしても一流でした。

 懇親会

 懇親会オープニングを飾るのは「白子ウィンド・シンフォニカ」の演奏。
 鈴鹿市を拠点として活躍する市民吹奏楽団で1971年の創団以来、定期演奏会も34回を迎える。昨年は東海吹奏楽コンクール一般の部で金賞を受賞するなど、レベルの高さを誇る。ポップスコンサートや学校・各施設での訪問演奏など、地域の音楽文化向上にも精力的な活動を続けている。
 この記念例会では、クラシックからマツケンサンバまで、楽しく明るい雰囲気で聞かせていただいた。


懇親会の司会はL宮木康光会計

「白子ウィンド・シンフォニカ」のリーダーで指揮を執るのは宮木均さん。実行委員長のご次男でもある。

実行委員長挨拶をするL宮木三郎
「ありがとう」の心がこもる。

「ウイ・サーブ」の乾杯は
L西村、L沖中両名誉顧問。

L姚斌元台北国際LC会長 
友あり、遠方より来る

 台北市国際LCとは1974年6月以来、31年間にわたって絶えることのない交流を続けている。日本語を自由に話すメンバーが減り、世代の移り変わりがあってもお互いの記念の年には夫人同伴での行き来が慣例なっている。
 会長挨拶にも、「私達は日頃、何とはなしに”リバティ インテリジェンス アワネーション セーフティ”と歌っているが、台湾のメンバーにとっては切実な実感を伴っているのではないか」とあった。
 我々との長い年月の絆が、その歌詞に込められた願いにむかう台北メンバーに対して少しでも励みになったらと思わずにはいられない。
 北海道・上富良野LCとは1996年4月12日、姉妹提携。
 上富良野は1897(明治30)年4月12日、三重県安濃郡安東村(現津市納所)出身の田中常次郎一行が上富良野の一本の楡の木陰に一夜を過ごし、開拓の第一歩をしるし拓いた町。上富良野LCの皆さんにとって、津へは「帰る」という感覚だそうです。
 
 台北国際LCからはウーロン茶、紹興酒をどっさり、上富良野LCからはラベンダーのポプリ、クッキーを全員にいただきました。

L伊藤欣治上富良野LC会長

歴代(40〜44代)会長・幹事へ記念品贈呈

 L加藤甫、L森伸生、L伊藤雅朗、L河村正美、L赤塚高之各会長、L岸江広和、L小寺克之、L野田洋一各幹事へありがとうの記念品を贈呈。


←ゾーン内事務局さん。

フィナーレは津を代表するYOSAKOIソーラン・ダンスチーム、よさこい「だったらあげちゃえよ」のはつらつパフォーマンス。平均年齢28才。会場いっぱい若さがはじけ、感動的ですらありました。


閉会の言葉はL加藤徹夫副実行委員長

「また会う日まで」のソングリーダーL伊藤雅朗

40名の白子ウィンド・シンフォニカの演奏で大合唱。
L岸江広和ソングリーダーも気持ちよさそう。

津ライオンズクラブメンバー
  

物故ライオンを偲んで

  故 L行方昭蔵「行方大兄に捧ぐ」

 桜の蕾がふっくらとふくらみ、殊の外寒かった冬とも別れ、いよいよ春らしくなってきたお彼岸の夜、突然あなたの訃報を知らされました。
 その時の驚きと悲しみ。何故あなたはこんなに早く亡くなられてしまわれたのですか。
 例会でメンバースピーチをされたときの元気に溢れたあなたが、これほど早く逝かれるとはとても考えられません。もともと話し上手な行方さんでありましたが、スピーチされたあなたの印象は実に鮮烈でした。
 「私は癌になり、限られた命しかない。その私が言うことだからよく聞いて欲しい」と先ず口を切られ、シーンとなった会場でクラブのあるべき姿を縷々話されました。強いショックと感動を受けたのは私だけではありません。
 思えば昭和四十四年四月に津クラブへ入会なさってから三十有余年、あなたとは長いお付き合いを頂きました。その間、クラブのために重要な役職を全て歴任していかれました。行方さんが会長をされたとき、丁度クラブの三十五周年にあたり、その時の記念事業に津の観音様の夜を明るくしようと水銀灯を何基か寄贈しましたが、あなたが会長として岩鶴住職に目録を渡してみえる写真を見ながらこの追悼文を書いています。行方さん亡き後も永久に水銀灯の光は観音様を、そしてあなたが建設委員として努力された新五重塔を照らし続けていくでありましょう。
 訃報を聞きお悔やみに訪れた私は、あなたが常子夫人とこの十一日まで八日間カリブ海ツアーに参加された事を教えられました。あなたの人生の最後を飾るにふさわしいビッグイベントであったなと強く思います。
 津クラブが姉妹提携をしている台湾の台北シティーライオンズクラブとの交流の濃さも、あなたのたぐいまれな温かい人間味によるところが大きいのです。あなたの親友劉家流さんは、あなたの事を「兄貴、兄貴」と立ててみえました。横で見ていて何とも言えない友情を感じました。あなたの事をいろいろ考えていると実に爽やかな想いで一杯になります。丁度観音様にあなたが植樹なさった白梅の薫りのような気がします。
 私達はあなたとの思い出を大切にして何時までも忘れることがないでしょう。
 行方さんどうか安らかにお眠りください。
 さようなら、さようなら、行方さん。                (L藤波健一)


昭和2年8月10日生まれ、昭和44年入会、1994年7月〜1995年6月会長(第35代)、平成13年3月20日逝去